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[1980年 (昭和55年)] JOC 総会で採決でモスクワ・オリンピック不参加を決定

モスクワオリンピックは、1980年7月19日から8月3日まで、ソビエト連邦(現・ロシア連邦)の首都モスクワで実施された第22回夏季オリンピックであり共産圏では初の開催となった。後述するボイコット問題で「スポーツと政治」の関係が問われた大会でもあった。冷戦下において東側諸国の盟主的存在であるソ連で行われたこの大会は、前年1979年12月に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、集団ボイコットという事態に至った。
1980年2月、前月のアメリカからの西側諸国への要請を受け、日本政府は大会ボイコットの方針を固めた。一方、日本オリンピック委員会(JOC)は大会参加への道を模索した。1980年4月、日本政府の最終方針としてボイコットがJOCに伝えられた。多くの選手はJOC本部で大会参加を訴えた。1980年5月24日、JOC総会の投票(29対13)でボイコットが最終的に決定された(なおこの採決は挙手によるもので伊東正義官房長官(当時)も出席しており、各競技団体の代表者には参加に投票した場合には予算を分配しないなどの圧力がかけられていた)。
1980年6月11日 – JOC常任委員会、モスクワ五輪日本選手団(幻のメンバー)を承認し、同時に大会への不参加を確認する。